FASER

はじめに

素粒子標準模型は物質粒子、力の粒子、そして質量を生む粒子(ヒッグス粒子)から成り、数多くの物理現象や実験結果をほとんど矛盾なく説明します。一方、宇宙観測によって、人類がこれまでに検出した物質(素粒子標準模型の粒子)は宇宙に占める物質エネルギーの約5%に過ぎないことが分かっています。現在の標準宇宙理論では、残りの約27%の寄与がまだ発見されていない未知の物質(暗黒物質)、約68%が未知のエネルギー(暗黒エネルギー)だと考えられています。宇宙創生の謎を解決するため、未知の素粒子探索実験が世界中で行われています。

FASER実験

スイスのジュネーブ郊外にある欧州原子核研究機関(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC: Large Hadron Collider)を用いて光速に近い速度に加速された陽子と陽子を衝突させて、宇宙初期のビッグバンに近い高エネルギー状態を作り出すことができます。LHCを用いた4つの大型実験(ATLAS、CMS、LHCb、ALICE)が進行中であり、LHCで加速される粒子を用いて様々な素粒子・原子核の研究が行われています。

ATLAS実験でも新粒子の探索を行っていますが、新粒子が重く、弱い相互作用程度の力で標準模型の粒子と反応する場合(WIMPと呼ばれる)に感度を持ちます。新粒子が軽く、非常に弱い力で相互作用する場合では捕らえることはできません。我々が推進しているFASER(ForwArd Search ExpeRiment)実験は、ATLAS実験の衝突点から発生した新粒子がビーム軸方向に480m先の地点で電子などに崩壊する事象を捕らえることを目指しています。新粒子の候補には、暗黒物質候補となる未知の粒子と標準模型の粒子を媒介するものがあります(暗黒光子、ALPなど)。仮にFASER実験で新粒子が発見されれば、暗黒物質を説明する新しい物理の解明に繋がると期待されます。

図1. LHC加速器を用いた陽子陽子衝突ではビーム軸の前方方向にも大量に粒子が放出されます。衝突点から480 m先地点には、TI12と呼ばれる現在使われていないトンネルが存在し、FASER実験が探索する新粒子やニュートリノが多く飛来します。また、衝突点由来の標準模型粒子の荷電粒子はLHC磁石によって曲げられ、中性粒子は岩盤によって吸収されるため、TI12は背景事象(=新粒子やニュートリノ反応の信号と似た事象)が少ない理想的な場所です。

我々は2018年にFASER実験を提案し、2019年春にCERNに承認されました。その後、急ピッチで検出器の開発を進め、2020年秋にはFASER検出器を地上で組み上げました。そして、2021年春に実験エリアにFASER検出器を設置しました。2021年秋にFASERν検出器を実験エリアに設置し、2022年春から始まるLHC Run3に合わせて実験を開始しています。

FASER検出器

FASER検出器は以下の検出器要素で構成されています。

ATLAS実験の陽子陽子衝突では、通常の物質粒子が大量に生成されます。その一部は岩盤などを通り抜けて、480m離れたFASER検出器までやってきます。一方、FASER実験で検出を目指している新粒子は、通常の物質粒子に崩壊するまで反応しません。通常の物質粒子と新粒子を区別するために、FASER検出器のもっとも手前にシンチレータ検出器を設置します。通常の物質粒子はシンチレータ検出器と反応を起こしますが、新粒子は反応しません。そのため、もしシンチレータ検出器が反応した場合は、通常の物質粒子だと判定することができます。

シンチレータ検出器の後段に、3台の0.55テスラの永久ダイポール磁石を設置しています。FASER実験では、この磁石の中で電子などの通常物質粒子に崩壊する新粒子を検出します。新粒子がもし電気を持った粒子(荷電粒子)に崩壊する場合、正(+)と負(ー)の電気をもった粒子対(電子と陽電子、など)が出てきます。LHCの陽子・陽子衝突で発生する新粒子は高速でやってくるので、崩壊後の荷電粒子対は非常に近接しています。磁石の磁力は荷電粒子に作用し、正と負の荷電粒子を逆方向に曲げることができます。これによって、粒子対を分離することができます。3台の磁石の間には飛跡検出器が設置されていて、新粒子が崩壊した後の荷電粒子を捕らえることができます。さらに、荷電粒子の曲がり具合から、運動量を測定することも可能です。

FASER検出器の最も後段には電磁カロリメータが設置されています。新粒子がもし電子や光に崩壊した場合、このカロリメータによって捕らえ、崩壊後の粒子が持つエネルギーを測定することができます。

FASER検出器アップグレード

現在のFASER検出器は、新粒子が荷電粒子対に崩壊する事象を捕らえるために検出器が最適化されています。一方、アクシオンと呼ばれる新粒子は2つの光子に崩壊すると考えられています。光子はカロリメータで捕らえることができますが、現在のFASER検出器のカロリメータは細分化されていないため、複数の光子を分離して捕らえることができません。FASER検出器にはミューオン起因の光子など、新粒子とは関係のない光子が背景事象としてやってきます。新粒子からの2つの光子と背景事象とを区別するためには、2光子を識別する能力をもった新たな検出器を導入する必要があります。

FASER実験では、2光子を分離できる能力をもった前段シャワー検出器と呼ばれる検出器を導入することにしました。この検出器はタングステンとピクセル検出器のサンドイッチ構造を6層並べたものです。光子がタングステンに入射すると、電磁シャワーと呼ばれる電子・陽電子のシャワーを起こします。この電磁シャワーを100マイクロメータ(0.1ミリ)角に細分化されたピクセル検出器で捕らえることで、複数の光子を個別に捕らえることができます。

前段シャワー検出器の開発は2020年から開始しました。LHC加速器は高輝度化の改良のために、2025年12月に長期シャットダウンに入り、2029年まで運転が行われません。我々は長期シャットダウンの前に、アクシオンなどの2光子に崩壊する新粒子を探索したいと考えています。そのため、2025年春に前段シャワー検出器を導入することを目指して開発を加速しています。

図2. veto検出器(シンチレータ検出器)・飛跡検出器・磁石・カロリメーターを用いて新粒子が検出器内で荷電粒子対に崩壊した事象を捉えます。新粒子が光子(γ)対に崩壊する事象を捉えるために、新たに2光子を分離して識別する前段シャワー検出器の導入を予定しています。